第八章 〜花売りのチンシル〜
チンシルが都に住み始めて一年ほどが経ちましたが、速く走り、時には飛べる体、不思議な仕
掛けだらけの大きな家、新しい楽器、美味しいご飯、毎日発展していく都に新しい仕事で、あ
っという間に過ぎてしまった感じでした。
チンシル:「もう一年も経つのか。そろそろ村に帰って様子を見てこようかな。お父さんとお
母さんはどうしてるかな」。
チンシルは帰るためにどうしたらよいか訊こうとして花売りに電話をかけました。
チンシル:「もしもし、おじさん?私そろそろ一度村に帰って様子を見ようかと思うのです
が、どうやったら帰れるでしょうか?」
花売り:「ちょうどそんな頃だと思っていましたよ。村にはあなたの家の馬車で帰れますが、
都の外に出るので手続きが必要ですね。あとチンシルさんに伝えないといけないことがありま
す。今から家に伺いますから待っていてください」。
しばらく待っていると花売りがチンシルの城にやってきました。
花売り:「お待たせしました。都の外に出るための手続きはしておきました。帰るにあたって
大事なことを伝えますね。
まずは花の種のことですが、この家の庭に植えてある花に実がなっていると思うので、今から
取りに行きましょう。それで、いくつかの種はまたここに植えて、残りをチンシルさんが持っ
ていってください。ここに着いた翌日に王様がおっしゃったように、その種は村に帰ったら他
の人たちにも配ってあげてください。ただし、貴重な種なので渡す人は慎重に選んでください
ね。
次にこの家の鍵も持っていってください。ここは外の世界とは違って留守の間に誰かが泥棒に
入るなんてことは絶対にありませんが、家の鍵が外から都の門をくぐる際の通行証になるので
す。この鍵は絶対になくしてはいけませんよ。肌身離さず持っていてください。
以上、大事なことは伝えましたので、花の種を取って出発しましょうか」。
二人が庭の花を見に行くと、小さなハート型の実がなっていました。実を取ってかじってみる
と、それは都の中でも外でも出会うことのできない最高に美味しいものでした。中には種が入
っていたので、花売りから言われたとおりにいくつかはまた庭に埋め、いくつかは配るために
袋に入れて持ち帰りました。そうして、二人はいつものように馬車に乗って出発しました。
久々に都の郊外に向かっていくと、広大な自然も建物も最初に見た時のようには感動を覚え
ず、チンシルが住んでいる地域よりも質素に見えました。やがて門にたどり着き、そこをくぐ
ると、懐かしい雲の海に出ました。
チンシル:「ああ、懐かしい光景…。ここからまた降りていくのか。お父さんやお母さんは元
気に過ごしてるかな」。
しばらく雲の海を走ると、次第に馬車は高度を下げて雲を突き抜けて地上へと降りていきまし
た。そしてまた広大な平原を駆け抜けて、チンシルがいた村へと向かっていきました。
花売り:「さあ、そろそろ到着ですよ」。
馬車はタマムシ村に入り、少ししてチンシルの家の前に停まりました。
チンシル:「着いた、着いた!久々の我が家だ!」
花売り:「しばらくまたここで暮らすことになりますが、また迎えに来ますね。くれぐれも都
の家の鍵はなくさないように気を付けてくださいね。では私はここで失礼します」。
チンシル:「はい、ありがとうございました!楽しみに待っていますね。ではお元気で!」
チンシルは花売りが去っていくのを見届けてから自分の家に入りました。家に入ってみるとお
父さんもお母さんも出かけているのか姿が見当たりませんでした。自分の部屋に入ると、部屋
は出ていった時と変わらず、居心地が良い空間でした。チンシルは長旅で疲れていたので眠気
が差してきました。
チンシル:「寝てたらお父さんもお母さんも戻ってくるかな。疲れたから寝ようっと」。
こうしてチンシルは一年の都での生活を終えてタマムシ村での日常に戻ってきたのでした。
さて、チンシルが眠っていると、お母さんの声がしました。
お母さん:「チンシル、起きてったら」。
チンシル:「あ、お母さん。久しぶり。全然変わってないね」。
お母さん:「はあ…?あなた何寝ぼけたことを言ってるの?早く起きなさい。もう朝ご飯でき
てるからね」。
チンシル:「(なんだ、一年ぶりに会ったっていうのに全然うれしそうじゃないな)」
チンシルは起き上がって食卓に行くと、カレンダーが目に入りました。日付を見ると、チンシ
ルが出ていった日から変わっていませんでした。
チンシル:「(あれ?どういうこと?時間が止まってるの?)」
お母さん:「どうしたの?カレンダーを見つめて?」
チンシル:「お母さん、私はずっと寝てたの?」
お母さん:「そうだよ、昨日の夕飯を食べてから今まで寝てたんだよ。牛や羊の世話もして音
楽の練習もして、よっぽど疲れていたんだねえ」。
チンシル:「(じゃあ、あれは全部夢?確かに、なんとなく記憶がおぼろげで思い出せない
な…)」
チンシルはまだ状況が理解できないままむしゃむしゃとパンを食べて部屋に戻って着替えまし
た。
チンシル:「(あの素敵な服はどこに行ったのかしら?あと鍵も。鍵だけは絶対になくしては
いけないんだけど…。あと花の種…。あ、そうだ!)」
チンシルは庭から持っていったはずの花がどうなっているかを見に庭に出ました。すると、チ
ンシルが見たのはしおれた花でした。
チンシル:「花がまだある…。でもしおれてる」。
花に近づいて見てみると、何やら花の中に実がついていました。それを見て、チンシルの頭の
中に、その実から種が出た記憶が蘇ってきました。その実はハート型でもなく、美味しそうで
もありませんでしたが、試しにかじってみると、とても甘くて美味しいものでした。
チンシル:「美味しい!それで、この中には種があるはず」。
続けて実を食べてみると、思ったとおり、小さい種が出てきました。それともう一つ、鍵によ
うなものが出てきました。
チンシル:「これは何?鍵…?」
チンシルはそれが都の家の鍵だと分かって急いで紐を通して自分の首に掛けました。そして種
も一部は植えて、残りは洗って袋に入れました。
チンシル:「この種を他の人にも分けてあげないといけないんだった。ふふ、なんだか、今は
私があの花売りみたい」。
こうしてチンシルはかつて花売りがこの村で種を売っていたように、自分もまた両親や友人、
音楽の演奏をしながら出会った人たちに、その人たちの大事なものと交換で種を配ることにな
ったのでした。
それからというもの、チンシルは時折眠りから覚めたら花売りが馬車で迎えにきていて、都に
行ってしばらく暮らす夢を見ながら暮らしたのでした。
さて、音楽家であり、花売りのチンシルには一つだけ気になったことがありました。それはポ
リーのことでした。ポリーが怪しい女に花を売ってしまったので、ポリーがどうなってしまっ
たのか心配になったのでした。チンシルがいつだったかポリーの家に行ってみると、かつて美
しい花が咲いていた庭にはいばらが茂っていました。そして、器用だったはずのポリーが作業
のミスが多くなって、ある日道具で大きな怪我をして仕事をやめてしまったという話を聞くよ
うになりました。花を売ってしまったポリーは、花売りが言ったとおり、その才能を失ってし
まったのでした。
そうしてチンシルが長く生きた後のある日、ベッドで眠っていると、家をノックする音が聞こ
えました。チンシルは起き上がって家のドアを開けました。
チンシル:「はい、どなたですか?」
花売り:「私です、チンシルさん」。
チンシル:「ああ、花売りさん。あら、今日はいつもより素敵な服装ですね。それに馬車も今
までより高級なものですね。何かありましたか?」
花売り:「はい、今日は特別な日なんです」。
チンシル:「特別な日?」
花売り:「そうです。今日はなんと、チンシルさんが都に完全に引っ越す日なんですよ。今日
限りでもう地上には戻ってくることはありません」。
チンシル:「ああ、とうとうその日ですか。とってもうれしいです。これからは時間を気にせ
ず都で暮らせるんですね」。
花売り:「では、こちらの服をどうぞ。着替えたら出発しましょう」。
そう言って花売りはこれまでで一番高級そうなドレスをチンシルに渡しました。チンシルが着
替えて鏡を見てみると、そこにいたのは最高に美しいドレスで着飾った最高に美しい自分でし
た。チンシルは大喜びで家を出て馬車に乗り込み、花売りと共に都へ旅立ったのでした。
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