仕事がひと段落し、
今日もまた外で走ろうと、
寝室を出てしばしの間トイレに入る。
用を済ませ、扉を開けて廊下に出る。
すると、見よ、
隣の家の猫。
その場所は、
一軒家の二階。
猫は鳴き声を上げる。
私は動揺しながら猫に問う、
「なぜあなたがここにいるのか」。
猫は鳴き声を上げる。
私は近寄る。
猫は階段を駆け下り、
開いていた玄関の扉から外へ出る。
私は玄関まで後を追い、
開いていた玄関の扉を閉める。
数時間もの間、
扉が開いていることに気づかなかったのか。
神に問う、
あれは何のしるしかと。
悟ったことが一つ、
いや二つあった。
一階は台所にリビング、
すなわち公の場。
二階は寝室、
すなわち私的な場。
私の心が不用心ゆえ、
悪魔が音もなく心の隙に入り込むのだ。
実家に残してきた猫が病を患い、
しばしの入院の後、
治療の場を家に移したのはつい昨日。
彼のゆえに神に祈り、
彼が寿命を全うすることを私は願った。
「再びあなたの寝室で
彼が鳴く姿を見るであろう」。
実家を思えば、
私の寝室が二階にある。
全能な神が与えられた、
癒しのしるしに相違ない。
神は人の日常のうちに
万物をもって語られる。
神は語る。
人は知らない。
メシアが語る。
人は分かる。
それゆえ神は、
歴史の中で預言者を送り、
時代が来ればメシアを送り、
人が神を知り、
愛を知り、
神を愛し、
神と共に永遠に暮らすようにと
語られる。
CGM New Harmony Church 動物たちの愉快な日常