CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

神の束縛

神を恐れその戒めを守る者は幸いである。今は全ての人を襲う艱難が全地を覆っているが、その艱難が過ぎ去ることを祈りつつ全体が一つとなって公的な規範以上に徹底的に集まりも避けている群れがいる一方で(ロトもソドムに留まったなら火と硫黄によって焼け死んでいたであろうし、ノアも方舟を造らなければ洪水によって共に沈んでいただろう)、他国における寄留者の身でありながら所属する組織の意向にも反して家を飛び出し、飲み食いをしながら世間話に明け暮れようと公然とその組織の一国の支部に催しを呼びかける者もいる。彼らはそのような放縦によって自らの故郷で多くの犠牲が払われたことにも目をくれず、むしろより犠牲を低く抑え込んでいるゆえ安全と映る他国において脅威を侮り己の欲望のままに振る舞う。彼らは「禍が自らに臨むことはない」と神を恐れることをしない。

こうしたことは三千年も昔から絶えず観察されてきたことであり、ダビデの詩やヨブ記などにも多くその様子が記されている。神がそのような者の行いにどのように報いられるかは人の知るところではないが、一つ確かなことは神はご自身の戒めを守る者に対しては御自らの御言葉を地に落とすことはすまいと神自らその責任を負ってくださるということである。

人は自らの願うとおりにしてこそ満足するものであって、自らの主観に従った「自由な」行いはその状況において同時に示される神が導かれる道より優るように思われる。しかし物事は終局によってその判断のよしあしが決定される。ソドムの地の麗しさにその地への移住を決めたロトは遂にはその身一つだけが救われ、二人の娘を除く全ての所有を喪失することとなった。自らの主観に従う道は肉のものさえ保証されることがないのである。たとえ肉において富、栄華を極めたとしてもそれらの繁栄は肉で終わり、ラザロがその食卓からくずを拾っていた金持ちのように霊の世界においては何ひとつ所有することなく神と無縁な世界に下ることになる。

一方で神が示される道に従うことはその瞬間の状況においては不安が感じられ、納得がいかず、それゆえ満足の得られないものであるとしても、ある日突如として自らに現れた「主」なる神の約束を信じてカルデヤのウルから遠いカナンの地への移住を断行したアブラハムのように、その終わりは遂には良くなり、その得たものをもって宴会をすると共にその経緯をもって一層神との愛を深め、神はその者の神となってくださり、その者は肉のみならず永遠な霊の世界まで宝を蓄えることになるのである。

また主の御言葉の鎖に縛られる者は自らの主観や他者の主観という鎖を免れ、世の価値観という鎖から免れ、罪の代価により永遠な苦痛を受ける死の鎖、サタンの鎖から免れる。親も他人も無知のうちに神が自分に向けて定めた御心を阻むように振る舞うことはあってもその責任を取ることは決してない。無知によって成されなかった神の歴史的な御心の責任を取ることなど一人の人間であるからにはできようはずもない。メシアになるはずの少年が山に祈りに行くのを母親が親心から「気が狂った」と引き留めたとしても、その後成長したメシアを通じて成されるはずの全人類の救いの責任をその母親がいかにして取ることがどうしてできるだろうか。後にその少年が成長して歴史を広げている姿を見て母親はただ一言「まさかこうなるとは知らなかったのだ」と言っただけであったという。

神の前に呼ばれ、その周辺で最も肥沃な地であったエデンを与えられたアダムとエバも、彼らがやがては御言葉によって成長して全人類の代表としてメシアとその対象になるとは現在の年齢でわずか十数歳にしかならない彼ら自身は知るよしもなかっただろう。しかし彼らは神の鎖を捨てたことにより肉では地上の楽園となるべき地を追われ、霊もまた永遠な苦痛に縛られて生きることとなり、さらには彼らに連なって旧約という時代全体が万物より下位に位置するしもべの鎖に縛られて生きることとなった。ただ一つの愛の戒めの鎖に縛られて生きたならばその時代全体が愛の創造目的を成して祝福を享受して生きたことだろう。

六千年の歳月を経て最後のアダムが神の花嫁としての創造目的を成し遂げ、その対象となるエバもまた絶対的な信仰によってサタンに勝利して黙示録に記録されたようにエデンの園の回復を成し遂げたこの時代、新たな時代を迎える者はただ一つの愛の条件をもって縛られて生きることにより肉では一生、霊では神の花嫁として黄金の都にて住まいを与えられて永遠に神と共に生きるようになる。「御霊も花嫁も共に言った、『来たりませ』」。歴史は移れど人間はただ新しい歴史に従う者だけが変わるのである。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。