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日常

神が残された記録

歴代誌上というのは初めの九章はとても退屈なものであって、読んでいると集中力が続かず、早朝に読もうものなら思わず寝入ってしまうほどである。そこには延々と系図が書かれているが、これらは現代の聖書の読者とは直接には全くもって無縁な内容である。しかしながらこのような記録がなぜ残されたかといえば、一般的な用途ではイスラエルの十二部族の中で嗣業が移らないように管理するためであり、各部族の中でも嗣業を管理するためであろう。またレビの一族は宮仕えをする者たちとして聖別され、中でも祭司はアロンの家系から出ることになっていたために管理しておかなければならなかったのだろう。

しかしこの系譜が聖書として残るのは神がそれを記録させたからであって、人間の間で土地を管理するために用いるだけならばそれは聖書としては残らなかったはずである。「聖書は人を教え導くに有用な書物」であって、その価値を見出す者にはその系図もまたかけがえのない宝なのである。

そのような宝の一つとしてはこのようなことを見出すことができよう。ノアの後にセムの家系とハムの家系が分かれ、一方はイスラエル民族に、一方はエジプト、カナン、ペリシテ民族に成長していく。テラからはアブラハムとロトの父ハランが生まれ、ロトからモアブとアンモンが生じ、アブラハムからはイシマエルとイサクが分かれ、イサクからはエサウとヤコブが分かれた後にエサウからエドムの部族が生じ、ヤコブからイスラエル民族が生じた。ソロモンの後には国の分裂が生じるも南ユダがダビデの家として残された。エリヤキムの後にエホヤキンとゼデキヤが分かれ、一方はバビロンに妃、母、高官と共に投降して生き延び、一方は反逆と逃亡によってその子もろともに滅ぼされた。そうしてゼルバベルが生き残った方の家系から出てエルサレムの復興へとつながっていく。このように神は常に二つのものを裂いて歴史を導かれてきたことを見てとることができる。現代においてもある国家は北と南に分かれ、北は人間を崇拝し、南は全世界でも有数のメシアの再臨を待ち望むキリスト教の信仰が熱い国となっている。

そして一方ではまさに系図の価値を見出した人間はと言えば、それは福音書を記したマタイであった。彼の遺した福音書もまた系譜から始まる。すなわちアブラハムからダビデ、ダビデから捕囚まで、捕囚からイエスまでが全て十四代であって、「十四」というダビデを表す数字を強調すると同時に、イエスこそユダヤ人が待ち望んでいたダビデの子孫たるキリストであることを、異邦人ではなく、イエスを不信して排斥したほかならぬユダヤ人らに向けて否定しようのないように証したのである。

神は人間の肉体をもってしか地上で現れることができない。それゆえ神は聖書のあらゆる預言をもってご自身が臨まれる人の子たるメシアを証するのであるが、神は聖書にのみ預言を記しておかれるのではない。東方の博士にとっては「星」こそが「彼らにとっての」救い主の象徴であったのではないか。なぜ神が異邦の世界にもこのように救い主に関する預言を与えられていたかといえば、それはイエスが全人類のメシアであってユダヤ人のメシアではなかったからである。

そしてこれはイエスが「私はまた来る」と話された新しい時代に関しても同様であることを悟らなければならない(歴史は常に繰り返されてきたのであるから)。キリスト教が全世界に広まったこの時代に再び現れるメシアはやはりただ単にキリスト教のメシアではあり得ず、全世界のメシアとして来られる。ノストラダムスの終末の預言、マヤ歴の終末の預言、アメリカ原住民に伝わる白いバッファローを従える救い主の預言、中国の推背図、韓国の鄭鑑録や竜が昇る門の預言、日本に残る火と救い主に関する預言書、世界のいたるところに神は救い主の預言を残されてきた。全世界が待ち望むメシアは聖書に記録された預言をことごとく成就していく一方で、このような異邦の世界に伝わるあらゆる預言をも世界に歴史を広げる過程で図らずも成していくのである。しかしこれは全世界のどこからでもメシアが現れ得るということを意味するのではない。なぜならやはり「救いは『ユダヤ人』から来る」からである。

メシアは誰も知らない御言葉を持ってくる。それによってメシアであることが知られるのであるが、彼はまたこれら全ての預言を正確に時に合わせて成就する。一日違えるということもない。それは人間のうちで誰一人として時までも偽ることはできず、神が遣わした者でなければ全ての時を合わせることはできないということを示すためである。

「あなたがたが目を覚ましているならばその日が盗人のように襲うことはないであろう」と言った。神があらゆるしるしをもってメシアを証される時(御言葉こそ最大のしるしである)、メシアを待ち望み探す者はその祝福から漏れることのないようにと神と聖霊が導いてくださるであろう。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。