チンシルはある日、花売りからもらった笛を持って村の広場に行きました。広場には子どもた
ちが何人か集まっていて、野良猫も何匹かうろついていました。いつものようにチンシルが笛
を取り出して演奏の準備をしていると、子供たちが近寄ってきて声を上げました。
子供:「笛吹のチンシルだ!今日も楽しい曲を演奏してよ!」
チンシル:「いつも聞いてくれてありがとう。じゃあ始めるよ」。
チンシルは笛を吹いて演奏し始めました。子どもたちは楽しそうに音楽に乗って踊り始め、野
良猫たちも音楽に合わせて歌いました。それを見ていた大人たちもつぶやきました。
大人:「前はガラクタを叩いて演奏していた子が、今じゃこの村では見かけない楽器で素敵な
音楽を奏でるようになったのね。正直前はうるさいと思っていたけど、今はあの子の演奏を聞
いているとちょっと楽しい気分になるわね。子供たちも野良猫たちもあんなに楽しそう」。
チンシルはこの日も皆に喜ばれて演奏を終えて帰路に着きました。そうして花売りからもらっ
た花、今では虹色に光り、ゆりのような形にも見える大きな美しい花が咲いている庭が見える
辺りまで戻ってきました。
すると、そこには一人のフードを被った女の人が立っていました。花を見に来る人は珍しくあ
りませんでしたが、その女の人はどこか純粋に花を見て感嘆している人たちとは雰囲気が違っ
ていました。
女はチンシルが帰ってきたのを見て話しかけてきました。
女:「この花の持ち主の方ですか?」
チンシル:「はい、そうです」。
女:「とても美しい花で見とれてしまいました。このような花をどうやって育てたのです
か?」
チンシルは初めて訊かれる質問をされて不思議に思いましたが、素直に答えました。
チンシル:「私が好きな音楽でいろいろな人を喜ばせて育てました」。
女は答えました。
女:「あらまあ、やはりこれが噂に聞く、持ち主に応じて世界に一つだけの美しい花を咲かせ
るという花なんですね。とても美しい。率直に言って、この花が私は気に入りました。これを
私に譲ってくださりはしないでしょうか?」
チンシル:「いえ、この花は誰にも譲る気はありません。大切に育ててきた宝物ですから」。
女:「もちろん存じ上げております。だからタダでくれとは申しません。あなたがこの先もっ
と美しい音楽を奏でられるように、私が持っているハープを代わりに差し上げます」。
チンシル:「ハープ?それは楽器なのですか?」
女:「あら、ハープをご存知ないのですね。まあ、無理もありませんね。この村では笛さえも
売っていませんから。では今度ここを訪れる時にはハープを持ってまいりますね」。
チンシル:「あ、でもこの花を譲る来はありませんので、結構です」。
女:「まあ、そうおっしゃらずに。ハープの音色を聞いたらきっとあなたも欲しくなるに違い
ありません。今日はもう帰りますので、また今度お会いしましょう」。
そう言うと女はその場から去っていきました。
チンシル:「はあ、また変な人に目をつけられてしまったなあ…。仕方ないから今度来たとき
ははっきりと断ろう」。
それから二週間ほどが経ったある日、チンシルが家をでて市場に買い物をしに行こうと外に出
ると、またフードの女の人が庭の前に立っていました。そばに停まっている馬車にはハープが
積まれていました。
女:「こんにちは。約束通りハープを持って参りました。この美しい音色を聞いたらきっとこ
の花とハープを交換するように考え直されるかと」。
チンシル:「たとえ美しい音を聞かせられても花は決して譲りません」。
女:「まあ、そうおっしゃらずに、まずは聞いてみてください」。
そう言うと女は馬車からハープをおろして演奏し始めました。
女:「どうですか?美しいでしょう?これ一台買うのにいくらするか分かりません。あなたが
十年働いてもこの楽器を買うのは難しいでしょう」。
チンシルはそれを聞いて少し悩みました。
チンシル:「(確かに、すごくきれいな音色…。でも花を育てるのにどれほど苦労したか分か
らない。花売りが言っていた『すごく良いこと』というのも気になるし…)」。
女:「あなたがそれでもいらないとおっしゃるのでしたら、隣の町の裕福な家の方がこれを欲
しがっているそうなので、そちらに売るとしましょう。ああ、ただもったいないのは、その方
は自分で演奏するというよりも、普段は飾りとしてホールに置いておくようです。いつも演奏
する人にこそこのハープはふさわしいと思ったのに、仕方ありませんね」。
チンシルはそれを聞いて心をかき乱されました。
チンシル:「(そんな、こんな高価で素敵な楽器をただ置いておくなんて贅沢すぎる!それな
ら私が弾きたい…!)」
女:「それにしてもこの花もせっかくこんなに美しいのに、この庭に咲いているなんて、それ
もまたもったいない。私の庭園には他にも美しい花がたくさん咲き誇っていて、この花の美し
さをさらに引き立たせるでしょうに…。このままではこの楽器も花もどちらももったいないで
すね…」。
チンシル:「(確かに、こんなに美しい花をこの庭に咲かせておいても見に来る人はそこまで
多くないし、いっそもっと大きなところで飾られた方が良いのかも…。結局それが私も楽器が
手に入って、花も輝いて、一番良い結果なのかしら…)」。
チンシルは花を手放そうかどうか非常に悩んで、また悩みました。そして、いつまで経っても
結論が出ないのでした。女もチンシルがなかなか決められないので、イライラして言いまし
た。
女:「ハープはいらないということでいいですね。もう帰ります」。
チンシル:「待ってください。もう少し考えさせてください」。
女:「残念ですが、次に行くところがあるので」。
チンシル:「次はいついらっしゃいますか?」
女:「分かりません。もう来ないかもしれません。それに、明日にはこのハープは隣の町で売
るつもりです。
このことを覚えておいた方がいいですよ。運命の出会いというのはその時、その瞬間を逃した
らもう一度訪れることはありません。あったとしても、その時はもっと多くの代価を払わなけ
ればなりません」。
チンシル:「わかりました。では、次にいらっしゃった時にもしまだハープが売れ残っていた
なら、それが私にとっては運命の出会いということにします」。
女:「私は今日が運命の出会いだと言っているのですよ」。
チンシル:「いいえ、もし私がその楽器を持つべき運命ならそれは売れなくて、また私のもと
に来ることになるでしょう」。
チンシルが信じ込んでいるのを見て女は諦めて帰っていきました。
チンシル:「ああ、終わった。でもこれで良かったんだ。もうちょっとよく考えないと」。
チンシルが部屋に帰ってベッドに寝転がりながら女とハープのことを考えていると、大事なこ
とを思い出しました。
チンシル:「そういえば、花を譲ったら花売りが言っていた良いことが起こらないだけじゃな
くて、『才能が奪われる』って言ってたっけ。それって花をハープと交換したら音楽の才能が
なくなるってことかな。じゃあ、結局交換しても全然弾けなくて無駄になってしまうんじゃな
いの?」
こう考えた時、チンシルは花をハープと交換しないでよかったと思いました。
チンシル:「そういえば、ポリーも花を育てていたけど、もしかしてあの変な女の人から声か
けられていたりしないかな」。
チンシルはポリーのことが心配になって、次の日ポリーの家を訪れました。
ポリー:「チンシル、急にどうしたんだ?これからまた作業だから、長くは話せないよ」。
チンシル:「最近怪しい女の人がうちに来て、花売りからもらった花を高価な楽器と交換しな
いかと言われたの。昨日もうちに来て、結局私は交換しないと断ったけど、もしかしたらポリ
ーのところにも来てないかなと思って」。
ポリー:「ああ、フード被った女の人ね。来たよ。『都で仕入れた最先端の工具セットがある
から、花と交換しないか』って言われた」。
チンシル:「ひょっとして、交換してないよね?昨日花売りが言っていた言葉を思い出したん
だけど、『花を奪われたら才能も奪われる』って言っていたじゃない?」
ポリー:「そんなことを言っていた気もするけど、理解できなかったね。それで、花のことな
んだけど、その最先端の工具セットと交換しちゃったよ。実際とても便利だし、パワーもある
し、切れ味も抜群なんだ。今日もそれを使って仕事するよ」。
チンシルはそれを聞いてとてもショックを受けました。しかし、ポリーは特段気にかけている
様子もなく、そのまま仕事に行ってしまいました。
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