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動物たちの愉快な日常
童話

童話『ツブツブ村の餅の尽きない甕』〜第三章 パックが村人たちに戒めを伝える〜

村に帰ると、パックは早速老人からもらった甕の餅を使って美味しいおはぎをたくさん作って売りました。今まで数が少なくてすぐに売り切れていたためにお店はなかなか儲かりませんでしたが、今や餅が尽きることがないので、毎日おはぎがたくさん売れて商売は大繁盛でした。

お店が栄えると、パックは老人との約束どおりに山の向こうの船着き場に行き、米をひとにぎりと、お店が繁盛したことを紙に書いて小舟に載せて流しました。

パックは餅をおはぎだけでなく煎餅にしたり、団子にしたりとさまざまに使って売り出しましたが、どれも好評で、ますますお店は栄えました。パックのお店が栄えているので、皆パックを羨ましがって、どうしたらそんなに商売がうまくいくのかと訊ねました。そこでパックは人々に、「うれしいことがあったら紙に書いて、一年に一度山の向こうの船着き場からひとにぎりの米と一緒に小舟に載せて川に流したらよい」と伝えましたが、山の向こうまで行くのは大変なので、皆「それはできない」と言って、一人もやる人はいませんでした。

さて、夏が来て、いつもなら雨が降る季節になりましたが、その年は雨が全然降らず、作物がほとんど育ちませんでした。漁をしても不思議と全然魚が獲れません。そうして食べ物の備えがないまま冬になり、今まで少ないながらも食べる物が尽きたことがなかった村人たちは初めて飢えの苦しみを味わうようになりました。普段から不満を口にしていた村人たちですが、食べる物がないので、ここぞとばかりに一層不満を並べ立てて村では不満が飛び交いました。

ツブツブ村の住人たちは飢えていましたが、パックの手元には餅が尽きない甕があるので、パックはいつも満足がいくまで食べることができたし、これまでどおりお菓子を売ることができました。それで村人たちはいつもパックのお店に来ては、日々の食料としてなけなしのお金をはたいてお菓子を買っていくのでした。初めこそパックは儲かってありがたく思っていましたが、次第に皆食べ物がない中で自分がお金を取ってお菓子を売っているのが申し訳なく思うようになりました。

そこでパックは思い切って村人たちにお菓子をただで振る舞うことにしました。パックは言いました、

「皆さん、私のもとにはたくさん餅が余っています。お金は要らないので皆食べてください。ただし、皆うれしいことがあったら山の向こうの船着き場から米ひとにぎりと、そのうれしいことを書いた紙を小舟に載せて流さなければなりません」。

村人たちは皆喜んで感謝してパックから餅を受け取って食べました。パックの餅は尽きることがなく、毎日毎日村人たちはその餅をもらって食べました。そして皆口々に言いました、

「もう食べ物の心配をしなくていい。働く必要もない。皆で遊ぼう、楽しもう」。

村人たちはパックを招いて宴会を開き、大いに騒ぎました。しかし、やはり誰も山の向こうに行く人はいませんでした。パックはそれを見て少々憎らしく思いながらも、一方では皆が喜んでくれて、自分にたくさん感謝してくれるのでうれしくもあり、複雑な気持ちでした。そうして宴会が続くうちに、パックは次第に、

「遠いから皆がやらないのも仕方ない。皆が幸せならそれで良いだろう」

と考えるようになり、パック自身も山の向こうに行く暇もなく宴会が続くので、いつしか老人の戒めを忘れて皆と共に毎日を宴会の中で楽しく過ごすようになりました。

さて、医者のラットはというと、やはり餅が苦手だったので、お腹は空いていたけれども、自分のところに時折来る病人たちを診ながら一人で静かに過ごしていました。そして、皆が農作や漁をやめてしまったので、自分が食べるものを手に入れるために医者として働く傍らで農作を始めました。

また、お店が栄えていると噂のパックが皆に「山の向こうでうれしいことを紙に書いて米と一緒に流すように」としきりに勧めるのを不思議に思って、一人で密かに山の向こうへ行ってそのとおりにやってみました。すると、村は不作だったはずなのに、ラットの育てる穀物はよく実を実らせたのでした。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。