CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

聖殿

ユダのヒゼキヤが王であった時代、姉妹国イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、王都であったサマリアには偶像を拝む異民族が移住し、彼らが神への最低限の敬意を払いながらもその地を占拠した。アッシリアはその後ユダにまで攻め上ってユダの要害をことごとく占領し、残すはエルサレムのみとなっていた。もはや手元に軍隊と言えるような手勢も残されていなかったユダであったが、ヒゼキヤの神への厚い信仰のゆえに神の聖殿を戴く都エルサレムは人手によらず神によって守られ、アッシリアは十八万五千の軍勢を失って撤退を余儀なくされた。

それから三代の後、預言者エレミヤの時代、ユダはヒゼキヤの子マナセによって引き起こされた偶像崇拝と多くの罪なき流血のゆえに神がこれを滅ぼされることを定められていた。それはマナセの孫ヨシヤがあらゆる偶像を滅ぼし、エルサレム以外に建てられた町々の祭壇をことごとく粉砕した後でも変わることはなく、ただ「ヨシヤの代には禍を下さない」と言われたのみであった。

そうしてヨシヤの子ゼデキヤの時代にユダはついに滅亡を迎え、王宮も焼き尽くされ、ソロモンの時代には華麗に飾られていた神の聖殿も金、銀、真鍮、青銅のあらゆる柱、装飾、調度品を略奪された後に火をかけられて焼き尽くされることとなった。ダビデの時代には軍隊の指揮官たちをはじめ民がこぞってその宮のために貴金属を捧げ、ソロモンの盟友ヒラムの協力のもと七年もの間国を挙げた工事をしながら最上の糸杉や最上の切り石をもって建てられ、内部も全て金で覆いつくされ、周囲の国々の朝貢や、神と共にしたことで勝利して得た戦利品で満ちていたその宮は跡形もなく消え去ったのである。

これはさらにさかのぼるならばモーセが幕屋を建てた時から受け継がれてきたものである。ベザレルを筆頭に金属や刺しゅうを施す者たちがもはや材料が満ち足りていると民を制したほどに民たちはその時代も喜んでその建築のための材料を捧げたのではなかったか。聖殿の栄えはすなわち人々が神に喜びをもって仕え、栄光を帰した姿が反映されたものなのである。

神は人の積もり積もった罪のゆえにユダに裁きを下すほかなく、胸を痛められながらその滅亡を来たらせたのであるが、その中でも神は人を哀れまれ、「ことごとくは滅ぼさない」と誓われ、かつ「必ずこの地に帰らせる」との誓いを立てられた。果たしてメディアの王キュロスの時代、神が定められた七十年という歳月を経てイスラエルはもとの土地に返ることを許され、そこから聖殿の再建が始まることとなった。バビロンの王が略奪した聖殿の財宝も調度品も皆持ち帰ることを許され、聖殿は最盛期のような燦爛とした輝きではなかったかもしれないが、再びかつてのような姿を現すようになった。神の象徴である聖殿を再び目の当たりにした民のうちでは涙が流れたと記録されている。

それからメシア・イエスが来られるまでの数百年、イスラエルはギリシャやペルシャ、ローマの脅威にさらされながら、多くの血は流れどその聖殿は再び穢されることなく存続した。

そうして二千年前、アダムの後四千年間待ちわびたメシアが来られ、人をしもべから子にならせようとの喜びの歴史が始まった。しかし人々はその神の喜びや期待とは裏腹に神が共にされたメシア・イエスを排斥し、不信し、新しい時代の福音を表立って伝えることができないように異邦の地へと追いやった。「きつねには穴があり、鳥には巣がある。しかし人の子にはまくらするところがない」。メシアでありながら会堂で教えることもできず、神の家たる聖殿で教えることもできずに追いやられ、山で、海辺で、道端で福音を伝えられたイエスの心情がそこにあったのではないか。

神と聖霊はイエスの体を通じて人々に話され、人々と交わりながら共に過ごされた。しかし神がご自身の愛する人間と共に楽に過ごすことのできる場所は存在しなかった。イエスを通じて話される言葉こそ人に向けて話す神の言葉であったが、そのように愛する者どうしが人目をはばからずに会話する場所さえなかったのがイエスの生きておられた当時の状況であった。

イエスが時代の無知により十字架の上で亡くなられるとローマはイスラエルに押し寄せ、その象徴であった聖殿は再び跡形もなく粉砕されることとなった。イエスという神の宮を奪われたイスラエルは、肉による神の聖殿をも奪われることとなったのである。そうして二千年経った今もその場所には神を象徴するイスラエルの聖殿はなく、預言者ダニエルに言われた「荒らす憎むべきもの」が建っている(読者よ、悟れ)。そこは「嘆き」の場所であって、かつて聖殿であった時のように神をほめたたえ、感謝し、喜びをもって使う所ではもはやない。

自由に人が押し寄せ、周囲の迷惑などを気に掛ける必要もなく神をほめたたえ、福音を聞き、神と交わることのできる聖殿という場所がどれほど貴重な場所であるのか。聖殿を奪われなかったならばそれがあまりにも大きいことなのである。聖殿の主人は神であって、人にとってのみならず神にとってもまたそのような愛の御心を気兼ねなく成すことのできる場所が喜びになるのである。

アダムが堕落により自らの位置を追われなかったならば彼は自身のいたその地域において良い場所であるエデンの園を神の宮として開発しただろう。しかしそれは神を愛しいつもほめたたえたダビデが着想を得、戦によって自ら血を流すことのなかったソロモンによって成し遂げられた。イエスが十字架にかかることなく歴史を広げられ続けたならば彼は神を象徴する聖殿を建てられたことだろう。この時代も神をあまりに愛した人は自身が従軍した報酬をもって、戦場にて血を流すことのなかったその手で聖殿を建て、後にさらに大きく巨大な岩々と木々と泉によって大自然の聖殿を建てて神をほめたたえている。その聖殿もまたその人が二十年の歳月その地を離れざるを得なかった時には幾度となく風水的にもまたとない地だというその場所を奪おうという動きがあったという。しかし神が今日に至るまでその場所を守られたことにより、その聖殿は年間に延べ数十万の人々が訪れて賛美し、祈り、福音を聞いて恵みを受け、山や池で楽しみ、癒しの御働きを受け、スポーツもしながら神に栄光を帰して楽しむ場所となっている。

我々が一般に通う教会も、時代の象徴的な聖殿とは言えないとしてもやはり同様に主に会い、神と交わる場所であって、それを奪われなかったことがあまりに貴重なことなのである。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。