CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

御言葉にふさわしい者

私は普段テレビを見ないのであるが、最近偶然にも食卓でテレビを見るようになった。競泳会で日本記録を立て続けに更新して勢いに乗って最高に高い位置で走っていたが、突如白血病によって十か月もの入院を迫られ、最近退院したばかりの十代の少女の話である。その入院の期間は治療の副作用で激しい頭痛や吐き気などで死を安楽とさえ思ったという。無論退院したとしても治療は継続しており、再び競泳に戻る日常はいまだ訪れず、弱り切った体を顧みつつ陸上でトレーニングをしているという。

その少女の告白を聞いてみると真に飾らない品性を持っていた。日本の代表どころかその記録のゆえに世界でメダルを期待される立場であったが、病で倒れた時にふと浮かんだ考えが「出場できなくなって良かった」というものであったというのだから、幼いながらにいかに重荷を背負っていたかがうかがえる。

しかし何より驚くべきは退院して自らの力が失われたことを見てなお四年後に再び世界の頂点を目指すと心を決めたその気力だろう。無論まだ十代ゆえ再び飛ぶことを望めるということもできるが、その病の完治自体易しいものではないのではないか。先にも述べたが彼女はいまだ薬を服用しながら生活し、水中でのトレーニングにすら戻ることができていないのである。それにもかかわらずその決して易しくない希望を抱きながら日々を生きるその精神たるや、これぞ世界的に活躍する種の人間であることを悟らざるを得ない。

無論私はいかなる考えがその幼い少女をそこまで支え、突き動かしていくのかを知らない。彼女に特別な信念や信仰があるかは知らない。ただ純粋な精神を宿しているということをうかがい知ることができるにすぎない。しかし彼女の大きな姿は確かに私自身を顧みる鑑となった。

御言葉を悟れば悟るほど、聖書を悟れば悟るほど、そして世の中の事柄を見て悟るほどに、今もなおこの地上に現前と進行する壮大な神の歴史を認めて嘆息を漏らすほかなく、またその歴史に刻まれた神と人との記録のうちに神の威光と他方では神ご自身が創造された人への哀切な思いを見出さずにはおられない。そして人もまた神を誉め称えつつ神と共に歩んできた歴史であることを感じるほかないのであるが、それらの悟りはむしろこのような歴史的な瞬間に立ち会いながらも、この歴史を目撃させ、歴史的な知恵と永遠の幸いと御力を授ける御言葉を持ちながらも、なお自らがいまだ一人の矮小な人にすぎないことを浮彫にするに至ったのである。

この御言葉を天より授かった主はその限りない祈りと忍耐と愛と実践によって神の創造の御心を成す真の愛の対象として認められ、地を治める一切の権威を与えられてこの地に来られたのであるが、その御言葉を聞く私は真に取るに足らない平凡な者であって、主を証するに知恵も御力もない者であることを告白せざるを得ない。この御言葉をもらった者は地上の権威とは比べることのできない永遠な神の愛の対象としての権威を与えられるのであるが、霊によるその権威とは裏腹に肉は何とも小さな様であるのを見る。ソロモンは言った、「誉は愚かな者にふさわしくない」と。私はこの御言葉を所有するにふさわしい人間でありたいと願うばかりである。

御言葉の価値、それを悟る者に聖霊の感動による奮起と喜びと賛美とが与えられ、キリストを証する御力が授けられる。弱き者を立ち上がらせるのは御霊と主であり、ことを定められるのは神である。神は日常の中で一人の幼い少女の姿を通して私に啓示を賜り、一層の熱心をもって小さくもさらなる行いへと導かれたのである。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。