CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

帰国してから一週間が経つが、六日滞在した隔離施設はあまり日が差さなかったせいなのか、いまだ時差に体が慣れていない。今日も夕方にしばし眠ったことで深夜二時を回っても眠れずに、電気を消した部屋で横たわりながら再び人生の終わりの日に思いを巡らせた。自らの人生の終わりを考えたが、その考えは今まさにそのような時を迎えようとしている祖父母へと移っていき、祖父母に何を言おうかと考えていた。いずれ生まれてくる赤子を抱いて進み出て、

「祖父よ、あなたのひ孫です」

と言おうか。神が祖父と祖母を共に世界大戦の中で生かされ、その後国家が窮乏している中で彼らが生き延びるようにされ、そして神が祖父に経済的な祝福を賜って私の母を産み、そうしてまた神が母と父を結び合わせられて私が生まれ、さらには私が育つ中で父の命を癌から救い、そのうえ父に経済的な祝福を与えられて私が行くべき学び舎に行き、そうして今日祖父からキリストに出会って神を愛して栄えて生きる子孫が出てきたのだと語り伝えようかと考えた。

しかし考えるうちに母もまた癌から救われ、何よりその後手術の副作用によって肺梗塞で死に瀕した母が奇跡的に生きたという出来事がより色濃く私の頭をめぐるようになった。母は手術をしてからある時息を切らすようになった。私と自転車で駅まで行く時も普段の坂道を上がり切れず、振り向くと姿が見えずに私は立ち止まってもどかしさを覚えたものである。私はまだ当時は母の息切れの深刻さをあまり分かっていなかったのである。息を切らせながら自転車を引いて坂を上ってきた母はまた自転車に乗って漕ぎ始めたが、息切れが激しいことに強い憂慮を抱いた私は先に駅に着いて携帯酸素を買い求めたほどであった。駅のホームでも立っていられず、買ってきた酸素缶を使っていた。しばらくしても息苦しそうにしており、電車も急遽グリーン車に変えて息を切らしながら母は乗り込んだ。

またある時は私の姉がもうじき結婚するというので祖父母も呼んで私と両親と姉とその相手が共に食事をすることになった。母は祖父母に心配をかけまいと癌で手術をしたことは隠していた(祖父母はいまだその事実を知らない)。じっと座っているときには何ともないが、歩き始めると途端に息を切らし始め、背中を曲げながら杖を付いて一歩一歩進み、顔が蒼白になっていた母の姿を私は今も覚えている。

母は後日術後の経過観察で手術を受けた病院に行ったが、「駅からタクシーに乗るから問題ない」と言ったため、結局私は仕事に行き、母は一人で東京の病院まで行ったのであった。そこで母は医師と看護師と面談したが、母が息切れのことを話した後、看護師は問題なく座っている母を見てそのまま帰そうとしたが、医師が異常を感じて「念のため検査してみたい」と言って母の精密検査を行ったという。そこで見つかったのが肺梗塞であった。母によると医師は写真を見てすぐさま担架を手配し、血栓を溶かす処置を行うようにと母を寝かせたまま迅速に病室へ運んだという。血栓によって詰まって白く映し出された肺を見て、

「今死んでもおかしくない」。

医師は母にそう告げたのだそうだ。

ああ、人は本当に分からずに生きているものだ。私は事態がそれほど深刻だったにもかかわらず、死に瀕していた母を一人遠い病院まで行かせてしまったのか。人は本当に心細い時、本当に危機に瀕している時に限って夫も、妻も、父も、母も、息子も、娘もそばにはいないのだ。それだからただ聖三位だけが人の伴侶であられ、ただ聖三位だけがその心細さを埋め、消えかかっている命を救い出すことができるのだ。それゆえ人はそのように常に共にされ、愛ゆえ顧みてくださる聖三位にいつも呼ばわり、感謝し、栄光を帰さなければならない。

もしその時母が亡くなっていたなら、今祖父母は二週に一度自らの自宅を訪れて料理を作ってくれる母を見て喜び迎えることはなかっただろう。自分たちより早く死んだ娘を思い、悲しみに暮れて生きていたのではないだろうか。気力を失ったからには今もなお彼らが生きていただろうか。もし母がその時死んでいたなら父は今楽に過ごすことはできなかっただろう。結局は母が生活を支えていたのであり、娘が嫁いで息子も海外に駐在したからには母が唯一の話し相手であったのだから。そして何より母が亡くなっていたなら今の私の幸せもなかっただろう。実家に帰って大量の土産物を渡して喜ばせる相手もおらず、生涯の伴侶となるべき人に関し神が私に賜った祝福を語り聞かせる相手もいなかったのだから。神は一人の命を生かされることによってその命とつながった多くの者の幸せをつなぎ置かれたのである。

私という一人の人が今神の御前に幸いを得ているが、そのためには神が祖父母を戦争で生き延びさせ、その後の国家の経済難も乗り越えさせ、個人の経済の祝福を与え、母を産ませ、父の命を病から生かされ、父に経済の祝福を与え、母をも死から救い、私自身のことをも幼い時に重い肺炎から命を救い、髄膜炎から逃れさせ(これらもやはり母が初めの医師の診断を怪しみ、他の医師に診てもらうことで見つかったものである)、一人の若い男が公園で一人でいた私に手を出すことができないようにさせ(その男は私の友人が来てからも私たちの周りを自転車で周回していた)、こうした諸々のことをもって先祖の時から私を選んで助けられたのである。神と聖霊と御子とキリストが先祖たち一人ひとりをも愛してくださったが、私という一人の人間が成約の時代に再び来られたキリストに出会って人間の創造に込められた愛の実を結ぶようにと世の初めから計画を定められて愛してくださったのである。

それだからこの人生を何に用いようか、一層神を愛することを願い、一層神の願われることを成しながら生きることを願うばかりである。私がものを書くことによって世界中の人々がキリストを受け入れ、神を愛して生きるようになるならば、それより大きな誉は他にないのではないだろうか。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。