CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
動物たちのつぶやき

なすべき善

世界を覆う艱難のただ中で、複数の国において市民が主権者に対して立ち上がったものの、無惨にも暴力によって踏みにじられ、やがてその声が消える姿を目にしてきた。経済も軍事も握った主権者に対してそれらを有さない一般の人々が声を上げるからといって勝負になるはずもない。時間が経てば経つほど一般人は経済も底を尽き、武力で抑圧されれば何をもって身を守ることができるというのか。また時間が経てば次第に世界の関心も薄れるものであって、いかに凄惨な状況であろうともいつしか人目に触れなくなっていくものである。民の半数が家を失い、八割が貧困にあえぐ中で主権者は何をもって自らの「勝利」とし、その主権を輝かせようというのか。「王の栄は民による」のであると、まさに富と名声を極めたイスラエルの王こそは悟ったのではなかったか。さらにある地域では不寛容で高慢な者たちが特定の人々に禍の責任を転嫁して憎しみを漏らして迫害を続け、尊いその命さえも奪っている実情がある。

日々世界の情勢に目を向ければ暴虐が地を覆っており、憤りと嘆きをもって神に訴えたことは数え知れない。

「神はいつその栄光を現されるのですか」。

世界の上位機関と呼ばれるものはその構造から機能麻痺に陥っており、特別有効な手立てを打ち出すことができるわけではない。頭が分かれ争っているのだからどうしてその本来の働きができるだろうか。窮地に立たされる人々が希望を抱いて周囲を見渡せど、次第に誰も救いの手を差し伸べる者のないことを見るようになる。絶望と無念さが彼らを捕らえる。

「我が手が短くて救い得ないのではない」。

神は希望のないイスラエルに対して預言者イザヤを通して話された。神が慈しみを抱かなくて動かれないのではない。暴虐が神の手に負えなくて手をこまねいておられるのでもない。神は人々が切実に神を呼び求めることを待っておられるのである。神の世界でただというものはない。神は全てのことを公義をもって測られるゆえ、地の条件なくして神が動くことはできないのである。

「しかし信じたことのないものをどうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのないものをどうして信じることができようか。宣べ伝える者がいなくてはどうして聞くことができようか」。

思えばこれほど世界に福音が必要であると悟ったのも、世界のこうした暗闇を頻繁に目にするようになってからであった。暗黒が地を覆っている一方で、主がおられる世界はいつも新たな福音と共に希望に満ち、活気に満ち、愛と賛美と感謝が溢れて光を放っていた。「光は闇の中で輝いていた。そして、闇は光に勝たなかった」。主は二十年の歳月山奥で修道生活をされた際、たびたび霊界に行き来されながら多くの人々の霊が地獄に落ちる姿を目の当たりにして世界のために祈ったと言われる。これらの知らせはおそらくは神がそれと同様に私に見せられた啓示であったのだろう。主は言われる、「世界があまりに不信するゆえ今までのやり方では伝道することができない。それゆえ私は七年の間祈ることにした。私たちが祈るのに神が人々を悟らせられないだろうか」。生活に溺れて「なすべき善」を行えない罪と争いながら、日々神と聖霊が私の心をつかんでくださるようにと祈りつつ今日ももがいて一日を生きていく。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。