CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
動物たちのつぶやき

定められた位置と栄光

ある本を執筆していて今まで使おうと計画していたソフトウェアが半年しか無料で使えないことに気づいてからそれに代わるソフトウェアが必要になったが、それは私が所属する部署でも公式のものとして開発を検討しているものであり、一方では友人が趣味で開発しているものでもあった。その他にもドキュメントの生成ツールなど興味のあるものは他にもあるが、インターネットで既存のものを利用しながらでもそれらを作成することはできないかと検索していたら時間ばかりが過ぎていった。初めに挙げたソフトウェアを開発するには私が全く新しい技術を身に着ける必要があり、無論それも個人的には幅を広げるという意味で悪いことではないのだが、友人が作っているものと会社を挙げて競うのもどうなのか、また学習期間も含めて開発期間はどれくらいになるのかを考えると悩ましいものであった。

そうしてまた外に走りに行ったが、朝から腹を下していて体調が優れず、ややつらく感じた。走りに行くときはあまり調子が良いときが多くないようである。とはいえ走るときは雑念がなくなるため霊的な考えが浮かびやすい。今回は走りながら悔い改めるべきことが思い浮かんだ。明け方に祈っていて眠りに落ちることも少なくなく、間食をするにも胃腸を考慮して甘いものは避けていたにもかかわらず最近発見した安くてそれなりにおいしく量的にも満足をもたらしてくれるシリアルバーのようなものに惹かれて回帰していたこともあり、体調が悪いのはそうした生活のゆえかもしれないと神に罪を告白するに至った。

それと同時に先のソフトウェアのことを考えるうちに神の御旨について悟りを授かるようになった。すなわち私が自らそれを開発しようとするのは単なる自己満足にすぎないということである。神が私に願われるのはソフトウェアの開発者として技術を磨くことではなくただ福音の働きをすることなのである。世の友人が今日に至るまでにそのソフトウェアを時間をかけてかなりのものを作り上げていたのは、この時分になって私の執筆作業がそれが必要となる章に差し掛かることを見越して神があらかじめ彼に感動を与えて行わせていたことであったのだ。しかるに私がそれを自ら行おうとするならば自らの執筆作業を滞らせることにつながり、それはすなわち神が願われる福音の御働きを遂行することに支障を来たらせることであって、神からすれば私が「おるべき位置を離れる」ことに等しいのである。

自己満足は言い換えれば自分が受けることを願う栄光であり、神が賜ろうとする栄光とは異なるものである。神が私に賜ろうとする栄光は福音の働きをする中で授ける栄光であって、この時代に主が教えられるように「神が自分自身に賜る栄光はそれだけでも一生享受しても享受しきれないものであり、他人の栄光まで線を越えて手を出してはならない」のである。聖書で言うならば「日が受ける栄光、月が受ける栄光および星が受ける栄光があり、それらは皆異なる」のであって人は神が各自に賜る栄光をもって満足とすべきなのである。そしてそれは決して満たされないものではない。

今私が賜っているこの使命は過去私が熱心に作成した本が天に受け取られたゆえに与えられたものであると確信している。その本を作成していた当時、それを完成させた暁には主に一言でもお伝えしようと考えていたが、主が低き所を出られてからは状況が変化して人づてにもその知らせを伝えることができなくなってしまった。しかし歴史の中で常に神が話されたように、神は常に人が歩む道を注視しておられるのであって、「その行いは神に覚えられている」のである。私が夢において主からとある啓示を賜ったのもその本が完成してから後のことであったと気づいたのはつい一昨日のことである。今はその当時よりも大きな世界を見据えて取り組み、より大きな経済的な基盤も与えられている。主は言われる、「最後まで行うときに神があなたに使命を賜るであろう」。それは決して抽象的な言葉ではなく、人が神のために何かを成し遂げるならば神は必ずそれを覚えられ、一層大きな福音の働きに用いることをもって報いてくださるということである。その働きの中で神が共にされるゆえ、それは神がより自らに近くしてくださるという愛の証でもあるのである。それだから今私がこの身に請け負っているこの仕事もまた完遂する時にはやはり神はその行いに応じてさらに大きな召命によって私に報酬を賜るのではないか。したがって何と言おうか。このように報いられるのは私だけではなく、全ての者が皆同じ神の理致に従って報いられるのであるから、誰しも希望を抱いて聖霊が導かれるとおりに勤しんで行うのが良いということになる。。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。