CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

神は困難の中で一層共にされる

13日の週の木曜日、かねてから離職を考えていたが、その週に行われるはずだったしかるべき立場の人間との面談がその者の常のことながら無断で流れていくのを悟って私は神に祈った、「神よ、私はかの者との対話の中で直接伝えようと思っていましたが、例によって再び無断でその話が流れていこうとしています。私が既に確認をしているのに返事もよこさないからには彼には自らが接したとおりになることを身をもって悟らせるのが良いと思います。明日の朝までに何の言伝もないようであれば私は電子媒体でもって辞表を送り付けます」。

その晩私は夢を見た。米国の以前の主権者が力なく私の前に現れ、私は恭しく、しかし彼に力がないことを知っていたため余裕をもって書類の束を手渡すのであった。明け方に目を覚まし、その夢が私が対談するべきだった強権的な人間に辞表を手渡すことであることを悟った。そればかりではなく彼のさらに上におる者とその者に常に与する人事の人間をも指していることをも悟った。

礼拝を終えて確認してみればやはり何の連絡も来ていなかった。これが神の私に祈りに対する答えであると確信しながら私はすぐさま辞表を書いて提出した。それから数時間してその人間から受領の旨が届いた。離職する事情も事情であったから彼もそれを飲むしかないようであった。

無事に辞表が受理されたものの、今度はその日のうちに本国への移動制限の影響で一時的に帰国した際におよそ十八か月ぶりに受けた健康診断の結果が良くなかったことを伝え聞くこととなった。無論私自身に対する将来の健康上の不安から心にかげりが生じはしたが、このことはもはや私個人の問題でもなくなっており、一生の重荷を生涯の伴侶となる人に背負わせることになりはしまいかという考えがむしろ私を苦しめた。その重荷によって訪れるであろう相手の苦しみを思うと、互いにいまだ汚していないこの時に別れてしまうことさえ頭によぎるほどであった。健康は金で買えるものではない。自身の平素の健康管理に特段の落ち度を見出すこともできなかったが、この苦しみを告げ、それを聞き入れて解決することができるのはただ神のみであった。

またその晩に夢を見ることとなった。夢で私はワクチンの注射を受けるために列に並んでいた。ほどなく順番が回ってきて、ドリルのような太い針による注射を受けたが、全く痛みも感じることなく、かつ注射を担当していたのは私が通う教会におけるある指導的な役割を担う者の妻であった。

その夢は神がすぐにでも私の内にある恐れ、不安を解消し、かつ病から救い出してくださるというものに違いなかった。さらには私がこのことをもって愛を約束した人と互いに別れることなく一つになることをも祝福されているようであった。

この時代のキリストがお生まれになった地からはあらゆる病を癒すことのできる水が湧き出している。かねてから私もそれにあずかろうと願ったが、海を越えて支給を受けるのは易しいことではない。かの国ではその水を生活用水として用いる者がいる一方で、そこから遠く離れた国にいる私はかねてから患っている病のゆえに最も苦しい時でさえその恩恵にあずかることができずにどこか不条理のようなものを感じることさえあった。しかし今回ばかりは私のことだけにとどまらない一生のことが懸かった事態であったゆえ、夢から覚めた私はその日のうちに私の通う教会を担う方に真実な懇願を差し入れることにした。

神が共にされたゆえその願いは聞き入れられ、私の母国の実家にその水が届けられることとなった。しかし誰が知るだろうか、その水が主の地で汲まれた日が私の肉における誕生の日であったとは。私はその日のために誰に何を願ったこともなかったが、神は私の生誕の日を祝して今私に最も必要であり、かつ最も高価なものを贈り物として賜ったのである。私が母国に帰る日も近く、直にその水にあずかることができよう。神が私の歩もうとする道を祝福してその水を賜ったのであり、それゆえ神がこの地に再び送られたキリストを証するために人間に賜ったその水をもってこの体のあらゆる不調を癒してくださるのだということを私は確信している。

今回帰国するにも実のところ私個人ではどうすることもできない壁が立ちはだかっていたものである。帰国に際してはウィルス検査において陰性であることを証明しなければならないが、今私がいる国においては母国の政府が要求する検体による検査を扱っていなかったのである。というのは、二か所から検体を採取し、それをもって陰陽を判定するのが現地の方式であるが、母国においてはそのうちの一方のみから採取されたものしか有効なものとして受け付けておらず、二つの混合は無効とされていたのである。しかしながら現地でそれを説明したところで「二か所から採取したならばより堅牢な結果になるのではないか。その規定の意味が分からない」と言われ(無論私もそれは知っていた)、現状は対応する意向がないとのことであった。帰国が一週間後に迫っていたゆえ非常な焦りがあったが、やはり神はあらかじめこの災難をご存じであった。「対応しない」と告げられた翌日の七月一日より母国の規定が改訂され、現地で行われている類の混合の検体に限っては認める旨が追記されることとなったのである。

今はさまざまなことが重なって落ち着いて聖書を読むこともままならない日々が続いているが、神はこのような困難の中で一層強力に啓示とあらゆる助けを与えられて人がその困難に打ち勝つことができるようにしてくださる。過程の中でも人が主によって救いを受け、困難を抜けた後も主によって祝福を授かるように定めておられることを認めるばかりである。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。