CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

勤しみ働くこと

私が師事する方は来る日も来る日も常に祈って箴言を書き残し、日々休むことなく屋外の大自然の聖殿開発を続けられる。ダビデが神を愛して宮を建てようと思ったように、「愛したら教会を建てるものだ」と話される。アダムは堕落したことで自身の開発ができなかったゆえにそれに続くエデンの園の開発をすることができなかった。メシア・イエスも十字架の道を歩むことさえなければ宮を建築したはずだと言う。彼の弟子たちが後に教会を建てたが、やはりイエス本人が御自ら建てるはずだったものには及ばなかっただろう。そのように私の師もまた神を愛して世界的な岩の造景と癒しの泉を伴う自然の聖殿を建てられた。

また彼は一日たりとも休むことなく我々を「神の前でより完全な愛の対象にする」べく幼子から老人に至るまでそれぞれの目線に合わせて御言葉を教え続けられ、「それが自らの生きている使命なのだ」と話される。彼が一時その教えによって反発を招き、また彼のもとに日々押し寄せる新たな人々のゆえに肉の距離と共に心が離れた人々によって十年の歳月この世で最も低きところにおられた時期があったが、彼はその中でも我々との疎通を絶やすことなく毎日五百通にもなる手紙を読み、総計七十万通にも上る手紙を書きながら個人にも団体にも返事をなさり、日々我々が生の方向を見失うことがないように顧みてくださった。その期間にも彼は説教をされることを休まれなかった。決して短い説教ではない。短いとしても三十分は伝えられた。長い時は三時間半にも及ぶ時があった。遠く離れた場所からどのようにして伝えただろうか。それもやはり手紙に書き起こし、弟子に託すことによって伝えられたのである。我々は一年三百六十五日神の前に礼拝を捧げるが、主日を除く明け方に伝えるべきものまで彼は手紙で送ってこられた。そして驚くべきは同じ話をされたことがなく、進行していく大きな歴史の時に合わせてその時々に必要なとおりに伝えてくださったということだろう。その期間に使い切ったペンの本数は四千を超える。「肉体の活力を失わないために走りもしたが、ペンではそれ以上の距離を走った」と彼は話される。

この世界的な自粛期間にも彼はオンラインで説教を伝えることを休むことがなく、それ以外にもほぼ毎日のように数分間短くも深い御言葉を伝えられる姿をご自身の実践の生活の風景の中で撮影し、世界中の支教会に送ってくださった。撮影者によれば彼はいつもたった一度で撮影を終え、撮り直しというものがないのだという。また彼は四十二年間福音を伝え続けてこられて今や世界六十か国に教会を建てられたが、その偉大な歴史ともいうべき生を日々歌にして残されている。一つとして同じ調子の歌はなく、同じ歌詞もない。「神が私に旋律を下さり、聖霊が歌詞を下さる。今まで行って成してきたことを歌にして栄光を帰すのだ」と話される。そのようにその場で感動のままに歌う歌は歌い直すこともできない。なぜそのように歌も撮影もうまくできるのかと誰もが彼に尋ねるが、彼の答えは「普段やっている通りにやるからうまくできる」というものだ。

ソロモンも勤勉であったゆえに三千の箴言を残したという。私の師もまた勤勉であるがゆえに五万の箴言を残された。私も日々忙しく働きながら霊的、肉的にそれなりの種類の仕事を一日にこなしはするが、それほど悟ることが多いかというとそうでもない。日々学ぶものはそれなりにあるが、悟ることはわずかなものにすぎないのが実情である。日々技術を学んで世界に取り残されないように労苦しようとも、永遠な霊の世界のことを悟るというのは学問によって会得できることではない。パウロも「世はその知恵によって神を見出すことができなかった」と話した。そしてただ「神は伝道という最も愚かな手段によってこの知恵を明かすことを定められた」と説いた。私がわずかながらも悟りを得るとしてもそれは私に御言葉を伝えられた方がおり、その土台があるからであって、「信じたことのないものをどうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのないものをどうして信じることができようか、宣べ伝える者がいなくてはどうして聞くことができようか。遣わされなくてはどうして宣べ伝えることがあろうか。それだから『麗しきかな、良き知らせを伝える者の足音は』とあるとおりである」。

考えが三位と一体になっていなければその啓示を受けることはできない。パウロはまた「聖霊に燃え、熱心に主に仕え、常に喜び、艱難に耐え忍びながら絶えず祈りなさい」と言ったが、日々悟りをもって聖書を紐解きながら人々を教える私の師もまた福音を人々に伝え始める前は二十年間山で祈り、聖書に書かれていることの意味を知ろうと聖書を二千回も読んだという。勤勉さの根本は主に置かねばならず、神はやはり行ったとおりに悟りの門を開かれ、その秘密を明かされるということだ。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。