皆さんこんにちは、早稲田NHC(ネバーランドで腹筋チャーチ)教会ブログ担当 ナマ☆タマゴさんです。
ええ、前回血気、怒るという事について書きかけて終わったので、その続きを進めていきます。
ちなみに私の手に高温の油を浴びせかけた例の牛肉の顛末について。
焼いたら思ったよりも硬くなってしまいました。
ゴム以外なら何でも食べてしまうガッチャンならいざ知らず、最近ブラックサンダーですら顎に負担を感じるようになってしまった私の咬筋力にはいささか手、というか顎にあまります。ここは調理法を変更しました。
早稲田のジャック・ハンマーと呼ばれていた頃が懐かしい。
塩麹とタイム、ローリエに一晩つけてからオーブンで120度で30分加熱。
肉の中心部の温度が60度まで上がった事を確認したらオーブンから出してアルミホイルに包みます。
余熱で赤身を温めるイメージですね。肉に火が通って硬くなる手前の温度で長時間キープすることで、レアで柔らかいのに火はきちんと入っている絶妙な焼き具合。
こうして血が滴るようで滴らない。ルビー断面の絶品のローストビーフが焼きあがります。
気をつけなければならないのは、焼きあがってすぐに切っては行けないこと。必ず粗熱をとり肉を少し休ませなければなりません。美味しく美しい物には時間がかかるのです。
ちなみに六十度の温度を確認するために、温度計がなかったので近くにいた弟信徒の手を押さえつけて無理やり肉の中に指を差し入れたりはしていませんのでご安心を。
ちなみにこのレシピは聖書には出てきません。
顔の半分が顎で出来ている料理上手のパパのレシピを参照。
さて、美味しくお肉も頂いた事で本題に入ります。毎月29日は肉を食べる、安息肉として定められています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――妄想終了。
先日、よく行くスーパーに閉店間際に行った時の事です。そのスーパーには某洋菓子店のコーナーがあり、たまに売れ残りのケーキを閉店近くに半額で売り出すことがあります。
もちろん、それを狙って行ったわけではなくたまたまその場に居合わせたわけですが。
半額札の貼られたケーキの立ち並ぶさまの美しい事、愛しいカモシカのよう。
そのかぐわしい香りは香油のように立ち上り私の心に没薬のよう(雅歌書風)
これぞ神の恵、ヒャッハーとばかりにカウンターの前に立とうとするその時、私の前にいた一人の女性が信じられない事を言い出します
「その札のはってあるケーキ、全部ください」
その言葉をきいた瞬間、目の前が暗くなり天は崩れ去り月は光を放つ事をやめ、私はどうやって家に帰ったのか覚えていません。
ただ、心の中に恐ろしい怒りが沸き起こり「神よ、この蛇蝎の如く恐れを知らぬケーキ盗人に裁きのイカヅチヲ」と口には出せない思いが充満してしまったことだけは確かです。神よ、何故に我を斯様な困難をもって試されるのか。
としばらくはそんな感じで心の中に暴虐の嵐が吹きすさぶわけですが、少しすると頭が冷えてきます。
よく考えるとそんな夜遅くにケーキパーリーなど百害あって一利なし。神の恩寵というよりは寧ろ悪魔の罠であった可能性もあるわけです。
特に胃弱ゆえに消化の助けのために食べる凝乳(ヨーグルト)で胸焼けする私。健康のために日々神に祈り願い求めているような存在ならば尚更のこと。
とするならば彼のケーキ買い占め女性は我への祝福を横取りに来た悪魔の使いではなく、私の日々の願いを聞き入れる為に神が遣わした愛の使者であった可能性もあるのです。
ならば、私は神の御使いを悪し様に罵ってしまった大罪人なのであろうか。
怒りとは、血気とは、激情とは考えてみれば非常に身勝手、自己合理的な考え方に捕われ、自分の思い通りにならない時に陥ってしまう事が多いのではないでしょうか。もちろん、大義、義憤に基づいた怒りと言うものもあるとは思いますが。
大抵の場合、憤っている側には実際に正当性が無いようなケースが多いと思います。
そして冷静な判断力を奪われた脳は、何が大義であるか、何が御心であるかをたやすく見失ってしまう。
心が怒りに駆られるとき、本当にその憤りに正当性があるのか一度振り返ってみなければなりません。
そして、神様はもっと良い物事。結果を与えようとして目先の物事を押しとどめる事がある事を皆さんに知ってほしい。
それにしても、聖書を十年近く学び、涅槃の極地に至ろうかと自称する私のような者ですら、いともたやすく血気に陥らせる。ケーキとは実に恐ろしい。
肉だのケーキばっかり食べてるから、短気になるというツッコミは無視して次回に続きます