CGM New Harmony Church

動物たちの愉快な日常
日常

新しさ

新しい業界、
新しい職場、
新しいチーム、
新しいタスク。
しかし、新しくはない。

誰かが作った成果物を一部として取り入れることはある。
それはささやかな学びではある。
しかし依然として主な道具は同じであり、
作るものもまたかつてどこかにあったものである。
新しいものは何もない。
「異なるもの」と「新しいもの」は異なるのである。

果たして私が時間を使う価値はあるのだろうか。
退屈さが押し寄せる。
「新しいものはないのか」と好奇心が飢えて叫んでいる。

ああ、
だから神は「新しい」ものを創られるのだ。
神は人間よりも鋭敏であり、
退屈さを感じることもまた極を行くことだろう。

神は言われた、

「私は新しい天と新しい地とを創造する」。

もし「私は新しい地を創造する」と言われたなら天は新しくならなかっただろう。ゆえに神は「新しい天」と言われ、ご自身もまた新しく行われることを示唆されたのである。

まず初めに神は新しいことを始められようと肉界における天地万物を創造された。

アダムの堕落の影響はあるが、ご自身を主人とし、人間をしもべとして関係性を築く歴史を始められ、モーセの時に律法を定めて後は千六百年の間神がいかにして人に働きかけられるかを記録された。

時が満ちると神はイエスを遣わされてご自身は人の父となり、人は神の子となる歴史を始められ、イエスとその弟子たちによる数十年の記録をもって聖書とされ、その後二千年という歳月をかけて一つの民族の間で信奉されていた神を世界へと広められた。しかしこれは長い時間をかけたということではない。むしろ初めの歴史の半分であり、人の世の発展による新しい歴史の速さを反映しているのである。神にとって二千年という年月は次なる新しい歴史を始められるに十分であり、かつ妥当な期間であった。

そして神はあらかじめ定められた千年の歴史を再び新しく始められ、そこにおいてはご自身は新郎として、人間は新婦として対等な愛の関係を結び、準備できた人間の霊を遂にはご自身の御住まいへと導き入れられて千年の婚宴の時代を進行されているのである。そしてそのような神が治められる天の国においては発展が絶えることはなく、常に新しいことがなされていく。

神と同行し、その限りのない創造性をもってこの人生もまた日々新しくなっていくことを願うばかりである。

ABOUT ME
マシュー
自分の持っているものを使いたい。神様のために生きたい。それが小さな自分にもできる大きなこと。「この人生を後悔のないように生きるにはどうしたらよいのだろう」と、かすかにくすぶる火種のような、ささやくそよ風のような一人の地球の民。